昭和46年03月27日 朝の御理解



 御神訓 一、「縁談に相性を改め見合わすより、信の心を見合わせよ。」

 教祖様の言うならあられ方と言うと、教祖様の生き方で行くと、相性と云うようなものは、ないと云う事になりますよね。相性相性そういうことは、云うならばどうでもよいと。相性が良いからと云うても、確かに別れておる人も沢山ある。相性が良いからと云うても、早く主人に又は家内に、死に別れをしたりしておる人もあります。だから何処を実を云うたら焦点にして相性と云うから、もうそれは御神徳な事だと云う様なことを、ここでは仰って居られるのであろうと思いますね。
 よく言われるあの縁談のおかげやらと、相性はどげな風でしょうかと言う人があります。だから問題は相性はだからどうでも良いのです。例えば私共の両親の場合なんかは、非常に相性が悪かった。年回りも悪かった相性も良くなかった。虎年と母は虎年父が猿年と言った様な男の二十五、二十五歳の者とは道連れにでもなるなと、よく云われるぐらいに年回りも悪かった。
 母もやはり女の厄年と云う。十九と言えば厄年と云われる様な、そういう家柄悪いと悪いが、言い合っておりますけれども、今日まで父は八十八歳それに母が八十七歳と云う様にね、長生きのおかげを頂いてまあおかげを頂いて、今日おかげを頂いて居る。如何に相性が良いの悪いのと云うて調べてしても、早く生き別れしたり死に別れしたりすれば、なるほど意味が無いことが分かります。
 からと云うてほんなら私の両親の場合、仲が大変良かったかと云うとそうでもない様ですね。もうこっちは大体は一方的で今でも父は、もうここ七日か八日かご飯を頂かんでおります。それでもそのお婆ちゃんが、ずうっと付きっきりでまあいわば、お正月にもよう出て来ないような状態で、誰か変わりがあるごとそして残りを(    )ておられる。もう母はね例えばあれは食べんか、これは飲まんかと言うと要らんち言う。
 何でん要らんち言う。それで孫達が行ってから一番ジュースを飲みなさい、牛乳を飲みなさいと言うとですねやっぱ頂くんです。婆さんが云うたっちゃ飲まんち言うちから、もうずうっともうあそこに行くならじっちゃまと婆様は、まるきり漫才を聞きよるごとあると何時もが皆が言うくらい。そらまぁ婆さまが黙っちょると爺ちゃまが可愛そうごたる風な。それでちょいともうあげんもうそれこそ、八十八にもなってからもう何時、死んだじゃら分からん人ごたる格好しとってやったっちゃやっぱ喧嘩しよる。
 それから孫達が言いますけれどもね、けどもあれは、結局家ん方ん婆しゃんのあれは、もうあれはいうならあれは愛情の表現だと云うて、昨日話したことでした。婆しゃんは悪いながら、恐らく悪か風でもなかごたる。ご飯は食べろと言うたっちゃ食べるでもなか、他ん者が来てから、言うとすぐ食べちからち言うちから腹かいとるごたるぎなもん。本当に腹かきよりなさる風でもない。
 まぁそれが楽しゅうして応えんと言うごたる風ですが、やっぱ相性の悪かったからかも知れんけれども。まぁそれぞれにおかげを頂いて、まあ幸せなおかげを頂いておるということです。まそういう様な事から云うても、相性と云った様なことのとやこう云うことは要らない。けれども成程相性が悪かったとかも知れん、ほんなら八十八にもなったっちゃ、それが脇からみるとその争いの様なことであるけれどもです。
 心と心で争うて居られると云ったものでもない。それこそ婆しゃんがそれこそ一時間居らんでん、喧しいぐらいにある訳ですね。ですからそういう様なことでございましょうし、又かと云うてほんなら私共の両親、夫婦の一生と云うものがほんとに相性が悪かったのであろうかと思われる様なことも沢山あったと云う事です。所がですね所がね云うならば信心のおかげでね、信心のおかげで今日まで長生きのおかげを頂いて、信心のおかげでまあ云うなら、心から仲良う行けたおかげと云うことが云えます。
 例えばここのところの御神訓は、どの様にお話を聞いて貰っておるか分からんくらいなことですけれどね。縁談に相性を新たに見合わずに、真の心を見合わせよと。だからまあ、金光様の生き方いわば御道の信心させて頂く者は、縁談なんかの相性やらは見ることは要らんと。云うならとにかく相手の心さえ良かればと云うことになります。心を見合わせよとこう云うて居られる。
 そこでやっぱそんこんところをですね、私の両親の場合の、真の心を見合わせよと云うことは、これは真と云うことを、信心の信と書いて居られますね。信心の信と。そこでほんなら両親の場合に申しますように、ほんとに相性が悪かったのであろうかと思われるような時も、一生の間には何回も大きな節にも使って居りますし。けれども母が熱心に信心を頂いて居ったと云うこと。
 私共でも子供の時にもう、朝もなからなければ夜もない。父はもう四十幾つかまあ座ったきりです。もうほんとになあにもしない。上げ膳据膳それで昔はお酒も相当いけよりましたから、もう母が酒の配達から帰って参りましてから、ご飯の用意をする。お肴を作って、父に出しますともうお魚のお皿に盛りようが悪いというて、喧しゅう言いよったのを、私は、覚えております。
 今こそ何も言わんごとならっしゃったけど、昔は難しい人じゃったち、母が言いますが。もう盛り付けの具合の悪かったち云うてから機嫌が悪かった。それで自分はずうっと摘まんだこともせんで、まあその人の行き届かんだったと言うたらもう、どんどんお皿でん何でん、どんどん投げちから、時々その勝手の方へ出てきてから、片付けるじゃなく片付けようが悪かと云うてから喧しか。母はもう朝から晩までそれには八十からの婆さんが二人もありましたもんね。
 私どんの婆と私の婆になる妹さんが掛かってきて居られましたが、もうそれも年寄りちゃ、あげん大事にせんならんもんじゃろうかち言うごと大事にしましたね私共の母は。そして父に対すると云うのは、そりゃもう徹頭徹尾、本当に大事に致しますですね。あんまり大事にするけん、せからしかち云うちから母達が帰ったら、腹かくくらいにある訳です。そういう中に私共が育てられて頂いておるが。
 思うてみて兄弟三人が、私共に居りましたが、兄弟寄り合わせて、あれだけ忙しいのは、私だん汚れたシャツやらどん、着たちいう覚えがなかのち言うて話します。いつの間に洗濯やらするじゃろかと云うのである。それでいて、私はそんなに裕福である、もう何時も、足りん足りんの中から、おかげ頂いて居ったけれども。子供に対する一つの理解と云うか、非常に深かったろうとこう思うのです。
 私が自転車に乗り習わせて頂いておるりますのは、まぁ十ぐらいの時でしょうが、昔、二十ち云う、小さい自転車がありました。それから二十二、二十四と云う様に、子供の時に三台も自転車を乗り換えて居るところから見たっちゃですね、ああ云う中から、どうしてこんな子供に贅沢させれるじゃろうかと思う位です。まだ子供の時分に、そんな小さい子供の自転車に乗ると云った様な者は居りませんでした。
 今こそねそうじゃないんですけど、だからあのそういう事がほんならどうして出来たかと云うと、母の場合は何時も神様にお縋りし抜いてからであったということである。夜なんかはまあ私共夜道を一人で歩くのですから、必ず私を誘うてからあんたも一緒にお参りせんのち、連れちから参らせられよりました。同時にやっぱりもうほんとに泣きの涙で、難困時をしとる様な事が、いつもでした。
 そげん時には初代の荒巻先生が、子供に聞かせちゃならんという訳でしょう。はよ総一ちゃん一時ばっかりあっち行っとかんのち親先生が仰いました。そすとやっぱり子供心に心配になる訳ですね、涙流して母がお届けしよりますから。それで障子のあるところを向こうさんお縁のところへ来ると、何かこまごまと泣きながらお届けをさせて頂きよる。それをいちいち親先生がお取次なさって下さっておったことやら思うて、決してまあ云うならば、難儀な事の方が多かったと云う感じがあります。
 けれどもそういう例えば、難儀に直面しても、どういう事にあっても、それは実にまあ云うならば、熱心な行きとどいたとまでは言えんにしても、熱心な信心でお取次のおかげを頂いて、今日までおかげを頂いて来ておると云うことでございます。いわゆる真の心を見合わせよというところからね、私は信心の信の字が、しっかりして居れば良いと云う風に、今日は、ここで、頂いて頂きたいと思います。
 まあ父と母がなるほど俗に言う様に、いわゆる相性が悪かったと致しましても、それこそみんながそれこそ爺っちゃま、婆っちゃまこそ極楽この世の極楽じゃろうと、みんなが言うて下さるほどしに、おかげを頂い、健康の上にも、今日までおかげを頂いて、まあ弟は戦死を致しましたけれども、子供の為に心配をしたと云った様なことは、まずまずない両親でございます。
 私もそう覚えて親に心配かけたと云った様な事もございません。妹はもう一段心掛けがなかなか良い私より。それでも妹がもう爺っちゃまやら婆ちゃま、あんた達のごたる夫婦から、どうして私やら兄さんのごたっとが生れるじゃろうかという位でございますがね。ほんとにね、例えばそこに水の性といい、又は火の性という、なるほど火の性と水の性が出合えば、さぁ片一方が燃え上がれば、片一方が水を掛ければシュンと言うて消えて仕舞う様な相性かも知れんのです実を云うたら。
 ところが信心と云う、何時もいわば有難い信心を頂いて居ったおかげでです。そこに信心の何と云うかね、鍋と云うか釜と云うか、そういうものが中に何時も頂いておった。だからそれが水であっても、これをたぎるようなお湯にしたり、生の物であっても、それを煮て食されると云った様な働きをしておる。それはやはり信の力であったと思います。ですから私が例えばほんならここで、皆さんが子供達の結婚なら結婚の時に、相性がどうじゃろうかと云うことよりもです。
 子供にほんとに信の字を与えておくことだと思うんですよ。信と云う字は真の心と仰る。いわゆる真を与えておくと云うことなんです。だから娘さんを持って居られる、多くの親達に私が申しますが、信心の合楽で言う一つの基礎と言うか、基本だけは身に付けさせておきなさいよと。どの様な場合であってもです、合楽で信心のひとつの基礎と云うものを身につけておくならばです。
 そういう難儀なら難儀困ったと言った様なことを、その人の根肥やしにしたりそれを研く材料にしたりする一つの生き方、いわば成り行きを大事にさせて頂くと云うこと、どの様な難儀なことが、ほんなら皆さんの娘なら娘、息子なら息子の上に起きて参りましてもです、その事をです大事にして行くと云うことが信心だと。いやその事自体が神様のお心だ。昨夜も御祈念が終わりましてから下がりましたら、公子さんが、今日から学院の試験に参ります。男の方だけが、一日遅れて参ります。
 それにあちらで作文を作成しなきゃならない。ですからどういう事を書こうかと自分で思ってる、結局自分の信心を書くより他はない。公子さんが申します様にとにかく親先生の成行きを大事にしておいでられると云う事。その事がほんとに合掌して受けておられるであろうかと思われる様な日々に何時も触れて、そこの所にまあ魅せられたという意味の事を、この頃教務所にに行ってからもその事をあちらでお話をしたと、自分でも言っておりましたがそういう様な事を作文にしたいと思っているらしい。
 ですから親先生成り行きを大切にすると云うことは、文章に書いたらどういう風に書いたら良いでしょうかと云うて。あんたが自分で思うとることを書かじゃこて、まぁだ子供の時から信心頂いて居りますから、私の知っておるまた私の信心の生命とも、自分で思うくらいに、成行きを大事にすると云う事はです、見たり聞いたりしてきておるのであるから、まぁそげん書きなさい。
 あんたが思うておる通りの、成行きを大事にするということはどうする事かということを書いときゃいいじゃないかと申しましたけれども、さあほんなら成行きを大事にすると言うことを、自分自身は何時も成行きを大事にしてる訳です。けれども作文にしようとすると、なかなか、言葉が出てこないらしいです。そこで私が一口、二口ヒントだけ与えさせて頂いたんですけれども、その様にです、例えばここで信心の稽古をさせて頂いて、その、成り行きを大切にするといったようなことがです。
 どのように素晴らしい事かという事。もうこの一つを合楽で体得し覚えておったらです。例えばどういう難儀な中にいわばほうり込んでも、親は心配はないという事なんです。先日から家内宛てに、豊美が手紙をやっておりました。この頃人間関係で何かその悩みがあった様な事が書いてありました。これは私が娘時代にあまりにわがままであったし、からこれはいわば自業自得だと、家内に言うてやっております。
 けれどもね私は合楽の信心だけは、頂いておったからおかげを頂いて、もう親先生が御本部参拝をされると、奥城を一番大事にされる。そこで奥城に行って御祈念をさせて貰いよるとです。一切が解決をするということを書いております。習う事だけは習っとる知っとる事だけは知っとる覚えてる。ただそれを行の上に、合楽では現わしてはいなかったけれども、それが本当だと言う事だけは、嫌と言うほど聞かせて頂いておる。
 いうならば相手が悪いのじゃない、自分自身を見よという事、またはどういう事の事態と言う事であっても、それがあなたに対する神様の働きかけなのだ。いやそれがあなたに対する、神様の働きかけと言う事になると、どの様なことも事態もその問題をです、問題とせず、合掌して受けて行く事が信心であるということを、いわば体得とまでは行かんでも、その事を覚えておる。
 だからもうはっきり分かることは、これは私が有り難く頂いて行くという事が、本当だと言う事だけは分かっておる。けれどもそれを有り難く頂けないと言うだけの事である。ここはどんなに歯がゆいことであっても、情けないことであっても、これを合掌して受けることが本当だと言う事だけは分かっておる。だから奥城まで足を運ばせて頂いて、御祈念させて頂きよるとそれを頂く心が、自然と心の中に出来て来ると言うのでしょう。その時には出来なくても。
 だから私がここでね、信心の稽古をさせて頂くそれは女子だけではありません、娘でも息子でもです。信心のいわゆる基本姿勢と言うか、そこまでは一つ分からせとかにゃいけんよ、わかっとかにゃいけんよと言う訳であります。同時にそれが歯痒い事であっても、腹の立つことであっても、それをね受けて行くという事がです、神様のいわば神様を大事にするとか、神様を尊ぶとかと言うけれどもです。
 神様の働きそのものを大事にしなくして、神様を大事にするとは言えない、神様を尊ぶとは言えない。これがまぁ私の持論じゃから、とにかくそういう風に書いたら、どうかねと言うてまぁそこだけ、夕べ公子さんに話したことでした。だから私の方の親先生は、成り行きそのものを神様の働きと頂いておられます。ですからその成り行きそのものが、どういう自分に損になる事であろうが、歯痒い事であろうがそれを合掌して受けて行くという生き方を、何十年間続けてこられた。
 それを私共は見て来ておるから、その事を大事にしますと言う、成り行きを大事にすると言う事が、どの様に素晴らしい事かということを思いますと、言う様な風に書いたらどうだろうかねと。神様のそのままが神様の働きだ。御神前にお祭りをしてある、それだけが神様ではない。その神様の働きそのものが、神様のお働きなのだから、神様を大事にすると言うても、神様のお働きを大事にしなかったら、神様を粗末に扱うとるとと同じ事じゃからおかげにはならんとこう言う訳です。
 私の母なんかの場合でも、こう言う様な御理解を頂いておったら、もっともっと何十年間の、いわば夫婦生活に於いて、もっと素晴らしかったかも知れなかった。けれどもやっぱり母の場合は、そういう教えを頂いてなかった。ただ苦しい事は苦しい事難儀なことは難儀なことであった。だからどうぞこの難儀な中から、おかげを頂かせて下さいと言う事だけの願いであったに違いはない。
 けれどもやはりお取次を頂いて、お願をして行くという信の道ね、ここでは真の心をと仰る。真と言う字を信心の信の字を書いておられます。だから信心の信の字は、あるという事だけでも。・・・今あそこへ信司さん達が夫婦で参って来とりますが、この頃家内の佳代子さんがここへ来てから、全然教会に育って何も商売の商の字も知らん。それが商売人のうちに嫁入ったもんですから、さぁもうそれこそ面食らう事ばっかり。
 ですからもうそれだけででも、難儀な事であろうとこう思いますけれども、ここへ来てからこう言うことを言うんです。親先生どういう事がありましても信心でおかげを頂いて行きますと言うて、もう何かこう腹の底から湧いてくるような( ? )をしながら、お届けするんです。それを見よって。大体あの人が嫁入る前に、一年間ここで修行させる筈でした。もうこりゃ末永さんがその事をお届けしてから。
 もう私はその一年間修行させてそしてどっか、良い所へまぁ嫁にやるなら嫁にやろうと言うのが、親方末永さんが考えであったらしいです。所がたまたま縁談むつ屋との話が急にまとまりまして、さぁ決まったらそこは若い者ですからね、もう一時でん早かが良かち言うごたる雰囲気でございましたもんですから、まぁそれからでも毎日ああして参ってきますから、遅くはないと思ったけども、私が言う今の様な事をです。
 この人達の場合なんかも、夫婦ほんなら相性見合わせた訳でも何でもない。まぁ両方とも信心がある。信司さんがほうも信心がある。また片一方は教会の娘として育って、信心と言うのは恐らく一生、これを取りはずすことは出来まいと言うほどしに、信心というものは持っておるから、信心のある者同士だから良かろうと言う事であった。また一切良い訳ですけども私の母と同じことで。
 ただ苦しい時には信心でそこを助けて下さい、おかげを頂かせて下さいと言うて、切り抜けて行こうという感じだった、佳代子さんがお届けするのは。だからそういう例えば、事ではなくてです。例えば豊美が言うて来とります様に、また公子さんが、昨日言うております様にです、合楽で一番有難いと思う事は、成り行きを大切にする事であり、いや成り行きそのものが、神様の働きだという事をです。
 本当に思いこませて頂いておるなら、どういう事があっても、これを合掌して受けて行こうという姿勢も出来るが、それが出来ん様に難しい事であっても、よくよく考えておると、豊美じゃないけど奥城に出ますと、全部消化してしまうとこう言う。教祖様のいわゆる奥城に出らせて頂いて、教祖様此の事は大変歯痒い事です、情けないように思いますけれども。これは私がここでまともにこれを合掌して受けて行くという事が、本当な事ですからそれを頂かせて下さい、頂かせて下さいと言うて願う。
 そこにおかげが頂けて帰る時には、もう是を胸撫で降ろさせて頂いて帰る事が出来るというのである。だからここん所の基本姿勢だけでもです、私が娘を持っておるなら、息子を持っておるなら、そこん所までは解らせておきなさいよと出来はしなくても。そう受ける事が本当だと言う事だけは解らせておきなさいよというのをです、今日は私は信の心という意味で只信心しておる、拝んでおるというのではない。その事を分かっておけと分からせておけとまぁ言うておる訳であるし、また皆さんであっても同じ事。
 こりゃ娘息子だって自分自身だってそう。日々の事がらの中からです、それを元気な心で受けて行こう、合掌して受けて行こうというそういう心をです、自分の心に頂いて行かねばならんという事。そうなって参ります時になるほど、例え私の両親が、水の性であり火の性でありそれこそ、普通では相性が悪いと言われるのでございましょうけれどもです。母に信心があったおかげでです、母は何時もその中に信心というものはある様に、だから、消やすこともなからなければ、消やされる事もなかった。
 やはり燃やし続けるなら、燃やし続けてそれが水ならお湯になり、米ならご飯になるというおかげを頂いて、何十年間の夫婦生活が出来た。その中に私共が生を受けた。私共はやはり母の信心を頂いて、今日こうしておかげ頂いておるという事になります。縁談に相性を見合わせ縁談に相性を新たに見合わせるより、真の心を見合わせよと言う事をね、今日はそういう意味合いで頂いて来たですね。
   どうぞ。